堤防の人々はどこへ向かう?

こんにちは

みなさんは「堤防」ってどんなイメージありますか?

自分は釣りにはまっていたこともあり、良く車を停めて投げては移動してという風に使っていたので、釣りのイメージが強いです。

人によってはいつもの散歩コースであり、通勤や通学で利用している方も多いと思います。

今回のお話は「堤防」にまつわる友人の体験談になります。

 

今から20年以上前のお話です。

その友人の自宅のある場所が川の近く、まぁ堤防の真下に建っている感じです。

以前、堤防が決壊して床上浸水にもなり、引っ越しも考えたみたいなのですが、友人の祖父がどうしても離れたくないということで現在の場所に住み続けています。家を建て替えてからも床上浸水の被害にはあっていますが・・・

その堤防の友人ですが結構霊感が強く、しかも若いころは心霊スポットに良く行くような感じでした。

当時の住んでいた家は二階建てで、友人の部屋も2階にありました。

いつもの様に部屋で寝ていたのですが、ふと夜中に目が覚めたそうです。

時間帯はAM2時くらいだったそうです。

なぜ目が覚めたかと言うと、どうも外が騒がしい。

友人はベッドから起きて騒がしい方を見ました。川のある堤防の方向です。

夜中にも関わらず、大勢の人が堤防の道を歩いているのが見えたそうです。

その時は友人も

「なんだ、人が沢山歩いていたんだ。だから騒がしかったんだ。」

と納得してベッドに入ったそうです。

ベッドに入り寝ようとしたときに「あれ?」と思ったそうです。

その時期は特に近くでお祭りなど大きなイベントも無く、大勢の人が堤防を歩いているのは時間帯的にどう考えてもおかしい。

しかも「騒がしい」と思っていたのですが、その人たちはなぜか誰も話すことなく黙々と歩いているのです。

どうしても気になり、もう一度「堤防」を見ました。

大勢の人が歩いていますが、年齢が様々な男性や女性がいて、しかも子供も一緒に歩いていました。

夜中に子供?と思いながら友人は目を凝らしてよく見てみました・・・服装が現在の服装と違います。

男性は軍服のような恰好、女性はスカートなどではなくモンペ。しかも服は破れえていたりしている人が多く居たそうです。

そうです、まさしく「戦時中」の恰好そしていたのです。

恐らく男性の恰好は当時の国民服なのでしょう。

友人はゆっくりと窓から離れてベッドに戻ったそうです。

 

ちなみに友人が住んでいる所は北関東です。近くには有名な企業があり戦前から続いています。

そのため軍の施設も多くあり、大戦中は良く空襲を受けていてかなりの死者が出ていたようです。

堤防にいた人たちはどこに向かって逃げていたのでしょうか。

そしていまだに逃げ続けているのでしょか・・・悲しいですね。

 

みなさんも、もし機会があれば慰霊碑などに手を合わせてみてはいかがでしょうか。

亡くなった方のご冥福を祈り、そして現在自分が生きていることに対して先人の皆さまに感謝の気持ちを持つのも良いかもしれませんね。

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